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靈氣と明治天皇の精神

レイキの教えの中に「レイキ五戒」というものがあります。これは創立者の臼井甕男先生が霊気療法を行う中で「人は心を変えないと本当には良くならない」と気付き作ったもので、霊気の教えの中に取り入れました。

五戒

この五戒は明治天皇の教えを元に作られ、当時の霊気施術者は五戒と明治天皇の御製(和歌)を朝夕唱えていたそうです。

今回はこの五戒ではなく、明治天皇について少しだけですが触れてみようかと思います。

明治天皇:嘉永5年(1852年)9月22日〜明治45年(1912年)7月29日

明治天皇

慶応二年(1866年)の末に父・孝明天皇が急死したため、1867年には14歳の若さで第122代目天皇として即位しました。即位の翌年には、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜から大政奉還が行われます。若くして即位され、明治維新という激動の時代を生きられた人物です。

明治天皇は日本の政治、経済、社会、教育、軍事の改革に献身し、明治23年(1890年)には大日本帝国憲法や教育勅語(道徳や教育に関する基本方針)などを発布しています。

明治天皇は歴代の天皇の中でも慈愛に満ちたかなりの人徳者だったと伝えられています。自己を厳しく律し、質素な生活を好まれたそうで、国民からも畏敬されました。和歌を好んだ事で知られ、生涯に残した御製(和歌)は9万3千余首にも及びます。

幕末の混乱を経験され、日清・日露戦争が起きましたが、明治天皇は常に戦争には反対だった様です。国民を思う気持ちや戦争に反対する気持ちも和歌の中に残されています。

あしはらの 国とまさむと 思ふにも 
   青人草ぞ たからなりける
 
(大意:日本の国を富ませたいと思うにつけても、第一に貴い宝はわが国民である) 

照につけ くもるにつけて おもふかな 
   わが民草の うえはいかにと
 
(大意:照れにつけ、曇るにつけて思うのは、わが国民の生活はどうであろうかということである) 

よもの海 みなはらからと 思ふ世に 
   など波風の たちさわぐらむ 

(大意:人類はみな兄弟だと思うこの世界において、どうして戦乱の波風が立ち騒ぐことになるのであろうか) 

国のため あだなす仇は くだくとも 
   いつくしむべき 事なわすれそ 

(大意:我が国のために敵は打ち砕くとも、敵に対しても慈愛をたれることを忘れてはならないぞ) 

当初、靈氣では五戒と共に明治天皇の御製が朝夕詠まれました。御製を人生の糧とし、心を正す事で靈氣に勤しみ、自他を癒す事に励みました。他にもいくつか明治天皇の御製を紹介します。

つもりては 払ふがかたく なりぬべし
   ちりばかりなる こととおもへど

(大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなってしまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)

思ふこと おもふがままに なれりとも
  身をつつしまん ことを忘るな

(大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人はわが身を慎むことを忘れてはならないぞ)

目の見えぬ 神に向ひて 耻(はじ)ざるは
   人のこころの まことなりけり

(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)

ともすれば 思わぬ方にうつるかな
   こころすべきは心なりけり

(大意:人の心は迷いやすく、移りやすいもの。常に慎重に考えおろそかにしてはならぬのは心のあり様である)

心ある ひとのいさめの言の葉は
   やまいなきみの薬なりけり

(大意:君に対して、忠誠心の篤き良臣の諫言は、我が身に病はなけれども、身にとっての良薬であるぞ)

われもまた 更に磨かむ曇りなき
   人の心をかがみにはして

(大意:私も更に磨こう、曇り一つない美しい人の心を鏡にして)

いささかの 傷なき玉もともすれば
   塵に光を失いにけり

(大意:少しの傷もない玉であっても、塵がつもっては光を失う)

こうやって明治天皇の御製を振り返って見ると、当時の霊気瀬術者が人を癒す為にはどれだけ自分自身を磨く必要があるとしていたのか良く分かります。今日レイキを実践している者にとっても、改めて気持ちが引き締まる思いですね。「五戒」がどの様な精神を元に作られたのかを思いながら改めて読んでみると、簡素な文章の中に深い教えがある事に気付かされます。